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~真実は珊瑚蓮の蕾に宿る~ 8

last update Last Updated: 2025-10-03 17:36:46

   * * *

 かの国に軍隊と呼ばれる組織は存在していない。四方を海に囲まれ、古代より神々と幽鬼が戦いつづけた影響からか、大陸諸国はかの国を敬遠し、攻め込んでくることがなかったからだ。皇族個人が兵を集めることはあるが、基本的に内乱を治めるための一時的な処置にすぎない。

 だが逆に、幽鬼との戦いのために神術を用いた防御は徹底されている。地方ごとに神殿が建てられ、土地神とともに神職者が悪しきモノの侵入を阻むよう常に結界は張られ、かの国の民は安心して生活を送れるようになっている。

 しかし今、この概念がたったひとりの女性のせいで見事に覆されそうになっている。

「秘色香椎神殿を奪われただと!」

 瘴気をまとった幽鬼となった義理の兄、仙哉を連れて現れた人魚の女王オリヴィエは、道花たちを襲った後、神殿を占拠していた。

 神殿には神術を修めた狗養一族の『狗』が多数いる。だが、仙哉が傷を負った時点で彼らもまた血の呪いによって動きを制約されている可能性が高い。そこを狙われたのだとすれば、自分の判断が甘かったと言わざるおえない。

 九十九が沈痛な表情になったのを見て、道花も苦しそうに言葉を発する。

「神殿を占拠されたって……」

「結界を壊されたらかの国へ幽鬼が押し寄せてくる。鬼神は最初からこうなることを考えていたのか……」

 至高神を敵対視する鬼神。彼が女王とともに行動していた理由を推理し、九十九はひとりでうんうん頷いている。

「ハクト?」

「切り札はまだこっちにある――だから。マジュ」

 呼びなれない名で道花を束縛する九十九に、道花が怪訝そうな表情を浮かべると、困ったように那沙が彼女の頬をつつく。

「もう想いは通じあっているんでしょう? あなたは珊瑚蓮の精霊で、海に誓う真珠……琥珀とともに輝ける桜真珠になるの」

「――那沙。やっぱりそういうことだったんだね」

 道花は頬を赤らめ、観念したとばかりに言葉を紡ぐ。

「あたしとハクトが契りあうことで桜色

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    「!」 咄嗟に前へ飛び出す九十九を弾き飛ばすかのように、カイジールがさらりと空中に魔術陣を描くが、すでにひかりは巨木の根に囚われた道花の眉間を通過し、消え去っている。「……なに、いまの?」 痛くも痒くもない感覚に、道花が首を傾げる。だが、那沙は顔を青白くしている。「珊瑚蓮の精霊に闇鬼を潜入させました。絶望の黒花を咲かせるためにはやはり本人の精神を病ませるのが一番でしょうから」「なんですって!」「威勢がいいね。いまのうちに吠えているがいいよ。自分の体内に潜まれたものを神謡で浄化することはできないんだから」 いっそのこと仙哉義兄さまのように幽鬼にしちゃおうか、と笑顔になる玉登をいまにも射殺しそうな視線で九十九が睨みつける。「玉登」「ぼくたちはすべてを壊すよ。義兄上が大切にしているこの国も、誓蓮も、世界も、愛する珊瑚蓮の精霊も。ぜんぶぜんぶ破壊する。最後に義兄上を殺してあげるから、楽しみにしていてね」 朗らかに言い残して、玉登は手を掲げる。一度は動きを止めた巨木がずずずと動き出し、天高くまで成長していく。「きゃ……!」 根の檻に捕えられたままの道花もそのまま空へ向かって突きあげられていく。みるみるうちに九十九たちの姿が米粒のように小さくなる。「道花!」 自分の名を呼ぶ悲痛な声も、だんだん遠ざかっていく。空気が薄くなっていく錯覚に道花は立っていられなくなりその場へしゃがみこむ。足元から見えるのは栄華を誇る帝都と皇一族の広大な敷地にある建物の屋根。帝都のひとびとは宮廷で起きたこの騒動をまだ何も知らないで平穏な暮らしを続けている。少年王がついに結婚すると晴れやかな気分で市は開かれているに違いない。結界が張られていることで起こるこの落差を空から見下ろし、道花は愕然とする。「……そんな」「珊瑚蓮の精霊。貴女は快楽に溺れながらしばらく高みの見物をしていてください。この帝都の情景が、ぼくと鬼神の手によって生まれ変わるところ

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  • 少年王が愛する蓮は誓いの海ではなひらく   ~真実は珊瑚蓮の蕾に宿る~ 7

    「……ナターシャさまが知らなかったこと」 カイジールがぽつりと呟くと、至高神は満足そうに頷く。「さよう。国神であるはずの彼女は、異形どもに国を支配されていたのさ。国が生まれたときから、何も知らされず、ずっと」 だからセイレーンは三年前に一度滅びたのだと至高神はいまさらのように笑う。「異形である人魚は冥穴の瘴気を帯びれば幽鬼のように悪しきモノになる確率が高い。母なる海神はだから珊瑚蓮の大樹が必要なのだと妾に教えてくれた。黒い花だろうが桜色の花だろうが、数百年に一度、人魚の一族の頂点に立つ女王を、珊瑚蓮の精霊だけが殺すことができるのだから、と」 海神はいつか人魚が幽鬼のように人間に対して悪さをすると予知していたから、珊瑚蓮をセイレーンに創りだしたのか? いや、そもそも創造神が海神と夫婦神となってこの箱庭を生みだした頃からそこに大樹は在ったともいわれている……きっと、海神はその地に珊瑚蓮が在ったから、ナターシャを生み落とした後、人魚に任せて姿を消したのだろう。 カイジールが心のなかで納得しているのを確認してから、至高神は顔を曇らせる。「だがの。珊瑚蓮の精霊はいつどこでどんな風に生まれるか神にも知り得ぬことなのじゃ」 だから妾も驚いておると零し、至高神は彼女の名を口ずさむ――神々が呼ぶ真名を。「あれはまことに未知なる花じゃ。まさか人魚の女王の胎から生まれることになったとは」 娘が母親を殺さなくてはならない運命。 それを至高神は嘆いている。 けれどカイジールはそれを黙って聞いていることしかできない。「妾ですら、どうすることはできぬ」 天空を統べる至高神でさえ、世界樹が定めた事象を覆すことは不可能なのだと、弱々しく言葉が告げられる。「……道花」 女王オリヴィエは珊瑚蓮の精霊である娘に殺されまいと、娘を殺すことに執念を燃やしている。けれど道花はどうだろう。

  • 少年王が愛する蓮は誓いの海ではなひらく   ~真実は珊瑚蓮の蕾に宿る~ 6

    「オリヴィエの義弟」 至高神は考え込む仕草をした後、カイジールに呼びかける。冥穴より生じた異形でありながらこの世界の海に生きることを許された一族は、海神の加護を受け、セイレーンを守護する国神を補佐する役目を与えられた稀有な一族。そのなかで選ばれたのがオリヴィエという名の女性だ。「そう呼ばれることには、慣れていません」 カイジールが否定すると、至高神はくすくす笑う。たしかに、彼は海神の加護を持たない冥穴で生きる人魚の一族に棄てられた迷子だ。同じ生粋の人魚だからとオリヴィエの両親に拾われ、自分たちの子どもとして養育された事実はあれど、海神の加護をその身に受けることが叶わない。だから彼は道花のように神殿で学ぶことを選び、知識を蓄えることで彼らに応えようとしたのだ。「たしかに、どのくらい年が離れておるかわからんから、姉弟と呼ぶのは難しいのぉ」 オリヴィエの実年齢を至高神も覚えていない。不老長寿である人魚は性別を変えることができ、滅多なことで生殖行為はしないため個体数の変化は殆ど存在しない。海神が人魚の一族にナターシャの補佐を命じたとき、その頂点にいたのがオリヴィエという名の人魚だったから、それ以来女王の座につく人魚にはオリヴィエという名が引き継がされている。 なぜ人魚の女王にオリヴィエという名を冠したのかと母なる海神に問えば、彼女は至高神を諭すように告げたのだ。 ――オリヴィエという名の女王がいる限り、セイレーンが滅びることがないからだ。 父なる創造神が世界を構築し終え、姿を消した際に後を追うように消えた海神。彼女は末子であるナターシャを独り立ちさせる間もなく儚くなってしまった。だから海に生きる人魚の一族を重用したのだろうと至高神は考えていた。けれど、それだけではなかった。「そなたはいまのオリヴィエが何代目か知らぬだろう? オリヴィエという名の人魚はセイレーンが生まれてから三人いた。いまのオリヴィエは四代目じゃ」「……何をおっしゃりたいのですか」 カイジールを養育してくれた両親にオリヴィエという名の女性はいなかった。だと

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